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老子
史記列伝に曰く、老子者楚の苦縣の厲郷、曲仁里の人なり。姓は李氏、名は耳(じ)、字は伯陽、諡して聃(たん)という。周代春秋の人。周の衰ふるを見て、すなわち遂に去って関を出ず。関令(かんれい)伊喜(いんき)が曰く、「子、将(まさ)に隠れんとす。強いて我がために書を著せ」と。是に於いて書上下篇を著わし道徳の言五千餘言を言うて而して去る。其の終わる所を知る莫し、と。喜と西の方流沙(りゅうさ)に遊び扶風(ふふう)縣(けん)に死し、槐里(かいり)に葬(ほうむ)ると称(しょう)すと雖もまた未だ詳らかならざるなり。
虚無と無為とは老子の要領なり。実に古今上下天壌無窮の大道なり。

根本通明(ねもとつうめい)
文政五年(一八二二)、秋田生まれ。
藩校明徳館学長、明治天皇侍講。東京帝大教授文学博士。江戸~明治期の漢学者。
明治十九年には天皇へ連続御講書始の進講を務めた数少ない「天下の大儒」。
周易(易経)へ深い造詣がある。
易義に皇統一系の説を唱えた我が国の易学・漢学界の第一人者。
我国の易経の解説書の最高峰と呼ばれる「易経講話」の公田連太郎も、根本のもとで
周易を学んだ。
著書、講義録に「周易象義辯正」「周易講義」「論語講義」「詩経講義」「孟子講義」
「老子講義」などがある。
明治三十九年(一九〇六)没。

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