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​例言

易は聖人經世の書なり。萬世道統の源なり。書契文字の祖なり。伏羲之を作り、文王象を演べ、周公爻を繋げ、孔子之を翼賛し、四聖の手を經て完成す。先聖後聖言ふ所、一皆天道造化の眞理に本づき王道を明らかにし人倫を正し善惡を辨じ從違を決する所以なり。

 

先人易を研鑽すること六十有餘年漆書三滅韋編三絶の苦に類するものあり。遂に漢唐以来先儒未達の秘旨を發明して曰わく

 

皇統一系萬世易ふべからざるは易の道なり。世界萬國惟我邦

皇統一系萬歳窮りなし。天道易義獨り我邦に存す。一部の周易其象其義、我國に明なり、と。

 

我邦人たるもの、易を尊重し之を研究せずして可ならんや。然りと雖も易理は深遠なり。易道は幽玄なり。孔子の聖智を以てして猶且韋編三絶の勤を積めり。況んや恒人をや。但後世易を注するの書、汗牛充棟の多きあり。其研究の難易、孔子の時と日を同ふして論ずべからず。然れども一得ある所一失、之に伴ひ多數の注釋中には易の本旨を誤るもの尠しとせず。人をして徒らに多岐羊亡の嘆あらしむ。

是れ茲に先人講述する所の周易講義を刊行して弘く世に問ふ所以なり。

 

本書は先人帝國大學に敎授するの傍ら、私塾に於て初めて易を學ぶ者の為めに講述せられたる所を速記者をして速記せしめたるものなり。故に能く先人の口吻の存するありと雖も間々重複するが如き所あり。又速記者の漢學に深からざるより或は其講述を誤聞し、或は其文字に誤謬等なきを保つべからず。今一々此等を校正する餘暇なきは予の深く遺憾とする所なり。

 

本書は先人初めて易を學ぶものの為めに講述せられたるものなれば、強めて平易了解し易きを旨とせられたり。然れば先人の易説は之に盡せるものにあらざるは勿論なり。

 

先人の易に関する著述は等身の多きあり。先年僅かに讀易私記の一部を剞劂に付したることありしも故あって續刊せず。更に機を見て刊行すること有るべし。若し先人易説の全體を知らんと欲するの士は此等の著に就き研究せられんことを望む。

 

讀易私記は先人易に関する大體の意見なり。之を巻頭に掲げて以て序文に代ふ

 

先人、常に唐の李氏易傳の古文にして象に精しきを喜び、晩年、易を講ずる多くは是書に據れり。本書本文亦李氏易傳に據りたるを以て坊間行はるる所の易本文と文章の異なる所多し。讀者異むなくして可なり。

 

易を讀むものは、乾坤往來錯綜互約等の理に通ぜざれば解し難き所あり。左に先人の示す所の乾坤往來錯綜互約等の圖を掲げて以て讀者に資す。

<乾坤往來の図>

 

 

<錯綜互約の図>

 

      ①錯

 

 

​      ②約象・互體

​      ③綜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

卦に互體約象綜錯あり。而して後一卦の中に數卦の象見はれ、變化神妙窮りなし。一卦の中數卦の象を取るは中爻にあらざれば能はず。故に繋辭傳に曰く非其中爻不備と第二爻より第五爻に至る、之を中爻と謂ふなり。

互體の象、左氏は第二爻より第四爻に至るを以て一卦となし、第三爻より第五爻に至るを以て一卦となす。皆名けて互體と曰ふ。京房は二三四爻を以て互體と称し、三四五爻を以て約象となす。錯綜の説は明の來知徳より始まる。其説に曰く錯綜は陰と陽と相對す。父と母と錯し、長男と長女と錯するの類、是なり。大抵、錯は横に相對するなり。綜は布帛を織るの綜なり。或は上、或は下、之を転じ之を倒すものなり。故に綜は陰陽上下相転倒するの名なり。

 

易陽爻を九と謂ひ、陰爻を六と謂ふ。九とは一三五の奇數を合わせたるの名なり。説卦傳に所謂參天是なり。參天は天數を三となすなり。參は合なり。一三五を合するなり。二四の兩耦を合すれば六となる。説卦傳に所謂地を兩にする、是なり。言は地數を兩にするなり。兩とは二と四とを合せて數を立つるなり。是を以て九は陽爻の名、六は陰爻の名なり。

 

 

大正元年九月

男     根本通德謹識

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